分別されなかった普通ゴミ袋の中身

無駄な思考と日常、厨二か高二病の痛々しい自称屑。

なんだかイラッとしたんです

希死念慮という言葉を知って「これだ」と思いながら眺めていたら下にあった別のURL、「葬儀屋は人の死を商売にしているかよくないと思う」これにどう言い返すべきか。そんな言葉が書いてあってそれに関しては別に、そういう奴もいるよなと言う思いしかなかった。

それに続いたコメント「私が死んだら何もやらなくて良いから山にでも埋めて」、これにイラっとした。

 

私は葬儀関係の仕事をしている。

 

いろんな家族を見てきた。

感謝してくれる家族を見てきた。

だからなんだか悔しかったのか許せなかったのか、「何もせず山に埋めて」それは何を思って出た言葉なのか。

お金をかけた事をして家族に負担をかけたくないとか、火葬されたくないとか、自分の死を食い物にされたくないなんて思考なのか。

イラっとした時はこんなこと思い浮かばずただ「じゃあ、あなたは家族が死んだら何もせず土に埋めるのか」という気持ちでいっぱいだった。

 

いいようにサービスを付けられ金を取られる葬儀

 

果たしてそうだろうか、葬儀屋は遺族の事を考えていないのだろうか、葬儀に関わっている人はお金のことしか考えていないのだろうか。

そうやって金がかかる、金がとられると思ってるあなた達こそ家族の死をお金のかかる物だと思っているのではないか。

金の事だけ考えてる葬儀屋がいないとは言わないが、葬儀がただ金の取られる・かかる物ではなく、大切な人がいなくなってしまった区切りの一つだと思う。

 

大切な人を亡くして、翌日、翌々日に土葬、火葬して気持ちの整理がつくのだろうか。

葬儀ってなんのためにやるのか、考えてやる人なんて少なくてみんなやってるからやるのかもしれない。

でも、最近の葬儀は少しずつ良くも悪くも変わっていっている。

金を取られるだけの葬儀なんて時代遅れだ。

 

振り出しに戻るが「葬儀屋は良くない」と言うのなら、自らの手で亡くなった家族を火葬場に連れて行ったり、土の中に休ませるという事でいいのだろうか。

随分と気概がある事だ。